おはようございます、Jayです。
参議院のガーシー議員が未だ昨年の当選から国会に出席していない事に対する懲罰として「議場での陳謝」が決まりました。
ガーシー議員が国会に出席しない事とその理由も理解に苦しみますが、同じくらい理解に苦しむのが陳謝文の作成者です。
「なぜ陳謝文の内容を本人以外が考えて決めるの?」
ガーシー議員の陳謝は妥当だと思います。(陳謝よりも重い登院停止は現状とあまり変わりないし、即除名は民主主義の根底を揺るがす)
妥当だけど、なぜその中身を本人に考えさせないのでしょうか?
日本は子供達に「自ら学び自ら考える力」を育もうとしているのに大人達は何をしているのですか?
ガーシー議員を擁護するつもりも応援した事もありませんし陳謝の懲罰は大賛成ですが、将来の日本を担う子供達に見せる姿勢がこれで良いのでしょうか。
実際の陳謝文の文案を読んで非の打ち所がない内容だと思いましたが、本人が申し訳ないと思って反省の意を込めて書くのが陳謝文でしょう。
一国民として完璧な陳謝文よりもガーシー議員本人が考えた陳謝文を読んでもらいたいです。
それでも尚反省が足りない/していないとなればさらなる懲罰を検討すればいい事。
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